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其の衝動は、気が付くと己の中に巣食っていた。
狂わんばかりの衝動。其れは、己の耳朶に向かって、無視できぬ程の音量で囁きかけていた。
ただただ、死という現象に恋い焦がれるという衝動。
ただただ、死へと向かうことを渇望するという衝動。
当初、自ら命を絶つことを考えなかった訳ではないと、予め言っておく必要はあるだろう。例えば己の手首を切ること(若しくは高層建築から飛び降りること)に対して恐れや躊躇を感じないのは言うまでもなく、死に対する恐怖は皆無と断言することが出来る。
しかし結果的にそうしなかったのは、其れが己にとって望ましい演出方法ではないと気付いたからである。
此の社会における普通≠ニいう定義は勿論知っている。だが、非常に遺憾ながら己は其の枠組みから外れた位置に存在するのである。
禁忌への侵犯に対して強制されることを受け入れられた己は、須く歪んでいるのだろうか。答えが他者に委ねられる以上、おそらく其れは是なのであろう。其の自覚を得ている以上、普遍的な常識を所持する他者は己を攻撃するものとして認識する。
望む未来を手に入れる為に人間は現時を奴隷とする。そういう意味では、己も同じではある。
しかし決定的に異なるのは、己の望む未来は普遍性を持つものでも、共通概念を有するものでもない、ということである。
世界を舞台と定義する。己は、そこで最高で最適の役者と場面を設定して、演出する必要がある。
大筋は完成し、幕も既に上がっている。後は観客席の様子を伺い、臨機応変に調整しながら起承転結の機会を間違えないこと。
此れぞ終焉という浪漫。
此れぞ浪漫という終焉。
*
暫く、此の特異な環境下であっても取り敢えずは命の危機に曝されることもなく、至って平安な日々が重ねられていった。
慣れとは恐ろしいもので、狗月が小太刀を振るって死を生み出すことも、深潮が怪我を治療することも、一年と続けば日常と化していた。
処刑人としての行動は、週に一度あるか無いか程度。其の実体は倭国自身の企みであるという事実は隠匿し、上≠ヘ処刑人≠ニいう存在を、正体不明の殺人者として上手く世間に広めている様であった。
勿論其れを知らない世論はどうやら大まかに三分されている様だった。
「此れは正義ではなく唯の私怨に過ぎぬ。殺された殺人犯と同じ、むしろ其れ以上に罪深い行為である」という処刑人に向けられた批判。
「帝国の言いなりになっている倭国は臆病者である。此の一連の事件は倭国の現状が生み出した」と国に向けられた批判。
そして、「殺人犯は死刑になるべきであり、もはや人権はない。此の事件の犯人は膿を取り除いたのであり、此のの殺人は正当化される」といった若干過激な擁護派。
此れら正解の無い堂々巡りの議論は、新聞や雑誌の中で日夜繰り広げられている様であったが、話の渦中にある狗月当人にとっては其の様な批判、議論はどうでも良いことであった。己は、上≠ノ命令されて私刑を行っているだけであるし、其れを許容しているのも、ただ押し付けられている為だけでは無く、利害が一致しているから、という理由があるからである。
執行人°ヲ力者である深潮は、騒がしい世論に何やら思うところがある様であったが、狗月は至って己の調子を崩すことなく、日々の生活を営んでいた。
しかし、変わらないものは何もない。万物は流転する、と説いた哲学者が嘗て居り、真理の一面を突いた。月日が過ぎ行く以上、何かが変わることは偶然かもしれないが、反対に必然とも言える。
其の来訪者が一つの運命≠運んできたのは、暦が霜月に入るか入らないかの、とある夕暮れのことだった。
「やほほーい、みーちゃんにきよっちお元気かな〜青春してるかーい!」
唐突に開かれた扉。静謐な場の空気を壊す脳天気な声が響き渡り、狗月と深潮は文字通り硬直した。
なにやら其れは登場姿勢らしく、豪快に扉を開け放ちました! と何とも言えない体勢を保った儘の男が其処に立っていた。年齢は二十代にも三十代にも見える、所謂年齢不詳者。着流し、という時代の流れから数は減ったが別段珍しくもない服装をしているが、何処かだらしがない。櫛を通した形跡のない髪型は非常に無造作。ニ日三日剃っていないであろう無精髭がだらしなさに拍車をかけている。
「今すぐ後ろを向いて扉を閉めて帰れ、アサウサギ」
「みっちー冷たいなぁ。其れに俺はアサウサギ≠カゃなくて朝に兎でアサト≠セってばー。駄目だぞー名前はちゃんと覚えなきゃ」
「あんたが言うなあんたが……!」
強制的にアサト=\―朝兎忠人色に変えられた場の雰囲気。完全に据わった目で招かざる其の存在を睨みつける深潮に、当人は飄々と言葉を流した。
「其れで、何か御用でも?」と、一方相変わらずの調子で微笑を浮かべた狗月。
「えー避難」
「は?」
「だーかーら、避難だって、ひ・な・ん」
あー疲れた、と嘆息して勝手に上がり込む朝兎に、狗月は首を傾げ深潮は此処の住所教えなきゃ良かった、と眉宇を顰めた。脈絡のない話に――といっても朝兎の話の大半はいつも脈絡がないが――何と返したものか、と思う二人に朝兎は言葉を続ける。
「変な女に迫られちゃって」
「…………」
「何よ。何時ものことじゃない」
非常に深刻な雰囲気を演出して告白した朝兎であったが、二人の反応は冷たかった。
「どうせまた、どこぞの遊郭の新しい子にでもちょっかいかけて、うっかり本気になられちゃったんでしょ。面倒なことが嫌なら、そんな子じゃなくて分を弁えてるお姉様方にしなさい、って常々言ってるじゃない」
「みったんは相変わらず厳しいなぁ。……今回も其れだったら、どんなに良かったことか……」
「今回、は違うんですか」
はて、と首を傾げた狗月に、朝兎はおよよ、と泣き崩れながら首肯した。
「そうなのよー! よりにもよって俺が一番苦手とする系統でさぁ……」
*
朝兎の話はつまりはこういうことらしかった。
十日振りの仕事≠終えた後のこと。何時もの様に上≠ノ報告し、帰路についている途中、突如其の少女は現れたらしい。
『御機嫌よう、朝兎忠人さん。わたくし、猫居あやめと申す者ですわ』
緩やかな曲線を描く栗毛色の長い髪に、意志の強そうな二重の瞳。年齢は十代の半ば程であろうか。明らかに上流階級と判る上質な洋装ドレスを纏った少女は、洗練された優雅な動作で一礼すると、にっこりと微笑んで言葉を紡いだ。
『初対面で大変失礼ですけれども。今日はご忠告に参りましたの』
革の編上靴を石畳の道にカツリと響かせて、あやめと名乗った少女は可愛いらしく小首を傾げると、其の口唇から朝兎にとって爆弾に値する単語を発したのであった。
『此の先、上≠フ言われるが儘に処刑のお仕事をされてたら、大変な目に遭いますわよ』
処刑人の存在は公になってはいない。国の上層部でもごく僅か、限られた人物しか知らないという徹底された秘密性を保持されている計画である。一般に知られれば国の一大事を越えて、国際問題になるのは必至な筈。其の存在を、何故目の前の少女は知っているのか。
敵か味方か。測りかねている朝兎に、あやめは困惑されるのは想定内である、といった様相で、構わず言葉を続けた。
『わたくし、実は上≠フ情報がとっても簡単に入手出来る環境におりますの。貴男方≠ウえ宜しければ、貴男方の知り得ない情報をお渡しすることを約束いたしますわ』
にっこり。邪念の欠片も御座いません、といった微笑みを浮かべてはいるが、目の前の少女が「外見で判断すると危険」な人種であるのは明らかである。現に、処刑人が朝兎一人だけでないということをしっかり把握している上、己の前に現れたのも処刑を行った直後――つまり、こちらの状況には完璧に精通しているということだろう。朝兎は己の調子を崩しはしないものの、処刑対象者の前に立つ時には感じることのない警戒心が生まれているのを自覚しつつ、慎重に言葉を返した。
『其れは助かるのでお願いします……と言いたいところだが、生憎初対面の人間を無条件に信用する安易さは流石に持ち合わせていなくてね。約束は破る為にある――ってのが、俺の持論だし。そもそも、お嬢ちゃんは俺らに協力して何か得をすることでもあるのかい』
『ええ、勿論ですわ』
此れまた即答と来たものだ。朝兎は頭を掻きながら、嘆息した。
『上≠ヘ俺たちに限った情報しか寄越さねぇ、ってのは察してはいたが……かといって唐突に現れたお嬢ちゃんの言うことをほいほい信じる訳にも行かねぇなぁ』
『そうおっしゃると思いましたわ』
其の言葉も想定内といった様子で、あやめは此れはまた上品な手鞄から片手に収まる程の携帯情報端末を取り出すと、其れを朝兎に差し出した。
『差し上げますわ』
『……差し上げるって……俺ら一般庶民にはまだ出回ってないシロモノじゃねぇか』
銀河帝国による倭国の事実上の支配により、ここ十年程で電子機器は非常に高価なものとなり、手にできるのは国政に携わる者、若しくは裕福な資産を持つ限られた者だけとなっていた。
処刑人になる以前から裏社会に通じていた朝兎は、闇市の格好の商品である電子機器のノウハウを其れなりに心得ていたが、例えば物心ついた頃から帝国支配下による日常生活を送っていた狗月や深潮は、家に設置した固定電話か公衆電話で連絡を取り合うのが当たり前であったし、其れを不自由とも思わない程度に電子機器が身近にない生活に順応出来ていた。
恐らく少女が差し出す携帯情報端末は、価値で言ったら乗用車一台買ってもお釣りが来る程の値段がするものだろう。益々朝兎は困惑するしかなかった。
『一体何が目的なんだい、お嬢ちゃんよ……』
『わたくしは、ただ貴男方が携わっていらっしゃる、処刑人計画≠フ現状に大変不満を抱いているだけですわ』
『不満、と言うと』
『あら、貴男も解っていらっしゃるのではなくて?』
不意にあやめは朝兎に近付いた。浮かべられた不敵な笑み。朝兎は動かない――否、動けなかった。あやめは四寸程高い身長を持つ朝兎に届く様、僅かに背伸びすると、其の耳元でそっと囁いた。
『先程貴男が殺害した方……殺人犯ではなく、元官僚であったということはご存じでしたかしら』
『………………』
答えを返せない朝兎に対し、あやめはまるで世間話をするかの如く、穏やかな笑みを其のかんばせに浮かべていた。
『朝兎さん』
そして朝兎の目の前、吐息すら聞こえそうな程近くに立つと、静かな所作で其の手を取り其処に先程の携帯情報端末を乗せる。そして、
『わたくし、上≠フ情報がとっても簡単に入手出来る環境におりますの。貴男さえ宜しければ、貴男の知り得ない情報をお渡しすることを約束いたしますわ』
と、先程述べた言葉を繰り返した。其れに対する朝兎の答えはと言うと――
*
「あのね、俺様は言い寄るのは好きでも、言い寄られるのは苦手なのっ! 嗚呼、もうホントいっちばん苦手とする型だったのよ……! 解ってくれる!? 暫く立ち直れそうに無いから、思わず帰宅せず此処に精神的避難しに来ちゃった俺様の此の気持ち……!」
「…………解るも何も……」
「って言うか、問題なのはあんたの好き嫌いが云々じゃなくて、其の彼女の話の内容じゃない! 一体どういうことなの!」
「…………二人とも、俺の心は思いやってくれないのね……」
「知らないわよそんなの。勝手に衝撃受けてなさい。其れよりも、もっとあたしたちに言っておくべきことがあるでしょ」
本格的にオヨヨと泣き崩れる朝兎に深潮がトドメと言わんばかりに一刀両断な台詞を返す。其れをにこにこと無言で見守って、狗月はそっと口を開いた。
「猫居あやめ、と言いましたか。結局彼女は何者ですか?」
「…………其れが、最後まで解らず仕舞いだったのよ。一応此れでも色々訊いてみたつもりなんだけど……結局、解ったことは何故か処刑対象者の詳細情報を知っている≠チてことと、無条件に俺達に情報を提供してくれる≠チて言う事実だけ」
「彼女自身の情報は何も得られなかったと?」
「まぁそんな所だな……」
「出来過ぎな登場人物ね……」
朝兎の話を吟味する様に腕を組んで口を結んでいた深潮は、ポツリとそう呟いた。
「確かにあんた達二人が上≠ゥら与えられる対象の情報は、何時も少なすぎだったわ。此まで薄すぎる情報が原因で致命的な失敗や怪我はしてないけど、其れも運が良かったからでしょ。上≠ェ放出したがらない情報を得るのは、単純に考えてもあんた達には必要なことだわ」
処刑人≠フ存在を知る数少ない者である深潮は、立場としては特殊ではあるが、上≠ノ直接掛け合える程の地位を得ている訳ではない。ただの協力者。恐らく、存在していなくても大丈夫な程度の――
しかし誰よりも処刑人≠心配する者なのである。
純粋に彼らを知る者として。
専属とされた監視役として。
そして、切実な望みを持つ者として。
「猫居あやめって子。話を聞くだけでも物凄く都合が良すぎるけど……でも、彼女が上≠ニ繋がっていないってことを確認した上で、或る程度の狙いが聞ければ、信用に値するんじゃない? 其れに、あんたたちに損はない話だわ。少なくとも表面上は」
どうなのよ、朝兎。と問われて、朝兎はがしがしと頭を掻きながら口を開いた。
「みっちゃんの言う、『上≠ニ繋がっている』ってのは、要は『上@e認の関係者』ってことだろー? うーん。多分あのお嬢ちゃんは違うと思うんだよなぁ」
「根拠は?」
「そりゃカン、さ」
「そう不確かなものを引き合いに出されても困っちゃうわね……でも、確かめる術はない、と」
「恐らく……」
と、狗月は穏やかに言った。
「近々彼女は僕に接触してくるでしょう、其の様なことは言ってませんでしたか、朝兎」
「嗚呼、確かにそんなことは言っていた。其れに処刑人云々の話なら、俺に接触しておいてお前に接触してこないってのは、まずありえねぇ」
「……………………」
「信用するか否かは、其れまで待って貰えませんか。僕は彼女に訊いてみたいことがあります。彼女の真意も――片鱗ではあるでしょうが――其の時、判るでしょう」
「何を訊こうっていうの」
「其れは勿論秘密ですよ、ヨタ」
「……………………」
狗月のやんわりとした拒絶に、不服の沈黙を深潮は返した。しかしもう何も言うことは出来ない。狗月が決めてしまったのだから。其処に深潮の意見を介入させる手段はもう無い。ただ――
「今は彼女からの接触を待つしかない、ってところね」
「おー。そうだな……俺っちとしては、もう会いたくないけどね……」
「……………………」
何時も何時も。深潮は待つばかり。当たり前のことなのは解っている。でも動くのは狗月と朝兎ばかりで、深潮は何処か落ち着かない気持ちを抱き始めていた。(其の気持ちの名が、焦燥と言うのを彼女は知らない)
「情報は必要。其れは確かよ。でも……何だか、嫌な感じがするわ」
「どうしてだい?」
「……………………」
途端に口を噤んだ深潮と、相変わらずの狗月を交互に見て、朝兎は些か大げさに嘆息してみせた。
「あんさん達、イイカゲンにしてくれよなぁ」
「イイカゲンに――って、何よ」
吐かれた溜息に、心外そうに深潮は言った。朝兎はやれやれ、と言葉を返す。
「嗚呼、もう、此の無自覚ってのが一番困るんだよなぁ! 確信犯でも困るけどよー。まぁ俺からは何にも言わねぇさ……」
「だから何訳のわからないこと言ってるのよ」
「まーまー。気になるんなら、手前の頭でしっかり考えるこった」
やれやれ、だ。本当に。返す言葉なく口を噤んだ深潮を見て、朝兎は頭を掻いた。しかしそうは叫んだものの、どうするつもりもない自分も、相当やれやれなんだろう、と朝兎は思った。
処刑人≠ノなってから「やれやれ」なことばかりだ。自分自身のことに関しても、あの猫居あやめという存在の出現は、「やれやれ」すらも超える心労を受けそうな予感がひしひしするし――何かが、急激に変化して行く、と朝兎は他人事の様に思った。
「因果だなぁ」
ぼそり、と朝兎は呟いた。
*
「あんたは、あたしが殺すんだから」
「………………」
「だから、勝手に死んだりするのは赦さないんだから」
何度口にしたか判らない台詞。
其れを何度も繰り返し、繰り返し口にする理由を、正直深潮にはよく解っていなかった。
「ええ、僕を殺すのはヨタです。そうでしょう?」
何度口にしたか判らない台詞。
其れを何度も繰り返し、繰り返し口にする理由を、狗月はよく解っているつもりでいた。
お互いの境界線が解らなくなる。そんな距離感で交わされる口付けは、求め合っているというよりは、何かを奪い合っている行為に似ていた。
閉ざされた空間の中で、秘めやかな行為が重ねられる。しかし、彼と彼女はあくまで狗月清貴であり、夜鷹深潮であった。
「嗚呼、もう、早、く……!」
たどたどしい口調で漏れる吐息は限りなく婀娜めく色を含んではいたが、其処には何かを欠いているのである。
「……ヨタ」
詰められた息の奥には、確かに快楽以上の感情が潜んでいる筈なのに、其れを取り出して既存の言葉に当て嵌めることが、どうしても出来ない。
「――――――――」
開かれた唇から齎される筈の言葉は、終に音を与えられる虚空に消える。
「あんたは、あたしが殺すんだから」
「………………」
「だから、勝手に死んだりするのは赦さないんだから」
そんな言葉に、狗月はただ何時もの如く、こう答えるのである。
「ええ、僕を殺すのはヨタです。そうでしょう?」
其の答えを聞いて浮かべられる深潮の表情は、正真正銘狗月の為だけのものだ。
狗月清貴を殺すことが夜鷹深潮の望み。
夜鷹深潮に殺されることが狗月清貴の望み。
一年前のあの日、計画が始動した時から。
二年前のあの日、二人が選ばれた時から。
三年前のあの日、企みが生まれた時から。
四年前のあの日、深潮が決意した時から。
五年前のあの日、事件が起こった時から。
六年前のあの日、二人が出会った時から。
酷く歪んだ関係性。しかし二人にとっては最良の関係性。
崩す権利は深潮にあり、維持する義務が狗月にある。
狗月は思う。此れで良いのだ。否、此れが良いのだ、と
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其れは、猫居あやめの登場から数日後のことだった。
*
「此れは此れは。鴉宮長官閣下が直々にとは……」
国の最高機密の一つとされている処刑人計画≠ヘ、所謂権力者と称される倭国の上層部の中でも、ごく限られた数十名にしか知られていない。狗月が具体的に挙げられるのは、総理大臣、警察長官の二名と、監視役の数人限られている。
機密はあくまで機密。とはいえ人が管理するものである以上、何時、何処から其れが洩れるか判らない。洩れるということは、即ち銀河帝国に知られるということであり、そうなった暁には此の倭国はどうなるか想像に難くない。
其の様な危険を冒してまでどうして処刑人計画≠実行するのか――と、疑問に思うことを狗月は放棄していた。上≠ェしたいなら、勝手にすればいい。己は此の計画≠目的の為に最大限に利用するだけなのだから。
「相変わらずの様だね、狗月清貴君」
月に一度設定されている、上≠ニの直接的対面。何時もであれば、狗月の監視役を統括する者――同じく監視役の深潮の上司にも当たる――見神史朗という男とだけの対面になるのであるが、此の日は例外的な日の様であった。つまり突然、長官という文字通り倭国警察の最高位の存在に呼び出されたのである。
「狗月君! 閣下に何と言う物言いだ」
慌てた様に囁く見神を敢えて無視し、狗月は肘掛椅子に腰を掛けた五十代程の洋装の男性におどけた口調で声を掛けた。
「閣下はお暇でいらっしゃるのでしょうか。先日も銀河帝国から倭国警察法への指摘があった、と新聞で拝見しましたが」
にこにこにっこり。
言外にとんでもない皮肉が込められた其の言葉に、狗月と共に入室した見神の顔色は、最早青白さを通り越して、血の気を完全に無くしていた。
「はっはっは、報道機関の言うことを鵜呑みにしてはいけないよ、君。表に出ていることと、事実が異なることは実に多い」
「………………」
狗月と見神に椅子を勧めることなく、自ら立ち上がった鴉宮は、完璧で隙の無い笑顔を狗月に向けた。
「君は自分が真実の全てを知り得る、と思うかね」
「どういう意味でしょう」
「解らんかね。真実とは、其の大部分が秘匿されるものなのだよ」
男はそう言ってもったいぶった動作で肩を竦めると、狗月の方へ歩みを進めた。
「君も思い上がらないことだ」
「……仰る意味がよく解りませんが。……っ!」
と、其れは唐突だった。
気が付くと狗月の視界は強制的に転じられ、上半身は大理石で出来た冷たい机の上に強く打ち付けられる。一瞬置いて、鈍い痛みが狗月の身体に響いた。
「…………っ」
髪を強く掴まれ、顔を持ち上げようにも押さえつけられた力は強く、身動きが取れない。微かに血の味を感じ、今の衝撃で口の中を切ったな、と狗月は思った。
「表向きに君は自由の身分だが……真実、君も処刑対象者と同じということを忘れてはいけないよ」
声色はあくまで穏やかに。しかし、其の言葉の奥には嫌悪と憎しみが見え隠れしているのを狗月は感じた。
「そして君の自由は、我々に与えられているものだということを」
視界の端で見神が右往左往している。しかし対する狗月は、状況が状況であるのにも関わらずあくまで冷静だった。
「夜鷹深潮」
そう、其の固有名詞を耳にするまでは。
「彼女は、我々の計画では想定外の知る者≠ナあり、特例中の特例で許された監視役だが……どうやら、君にとってはそれ以上の存在の様だね」
「…………彼女と僕は高校時代から浅からぬ縁ですから」
冷静さを装えてはいるが、己の心拍数が上がっていることに狗月は気付いていた。何故か、続けられる言葉の予想が出来た。そして其の予想に非常に動揺している己が居た。
「自分自身の立場をしっかり弁えることだ、狗月清貴君。君の代えは多くは無いが、存在しないことも無いんだよ。……勿論、彼女のも、ね」
「………………」
何もかも、解っていることだった。
鴉宮が処刑人たる己に対し嫌悪感や憎しみといった感情を抱いていることは知っていたし、深潮の立場の複雑さも認識していた。其れらに対する直接的、間接的警告は、既に何度も受けている。
其れにも拘らず何故今、己は此処まで動揺しているのだろうか。
己の望みの実現の為には、国すらも利用する。処刑人計画≠フ適格者として選ばれた時に、既に覚悟を決めていた筈である。
鴉宮の忠告など、恐るるに足らない。言われるまでも――無いことなのだから。
拘束は、された時と同様に唐突に解かれた。
涼しい顔をした鴉宮は、再び肘掛椅子に腰掛けることなく、其の儘狗月と見神の脇を通り抜けて、出口の扉へと向かって行った。
「まぁ、また会おう狗月清貴君。君が物分りの良い子であることを切に願うよ」
浮かべられた笑みは完璧だった。
狗月は体勢を戻すことなく大理石の机に伏せた儘、見えない様に唇を噛み締める。
今、己が感じているのは明らかに敗北感だった。不本意ながら、今の狗月には其の事実を受け入れるより他にない――
*
誰にもあたしの望みは理解出来ないと思うわ。
だって、誰にも言ったことは無いし。誰にも言おうと思ったことはない。解った様な振りされるのは嫌だし、解って貰いたいとも思わない。
でも偶に、凄く切なくなるのはどうしてかしら。
だってあたしは現状に其れなりに満足しているのよ。此の現状が維持出来れば、きっとあたしの望みもいずれ叶えられるのだから。
今がずっと続くとは思っていない。そんなの当たり前でしょう? 別にあたしは永遠なんか望まない。そんなもの、幻想だって知ってるから。
ただ、あたしの望みに向かう過程が出来るだけ長く続けば良い、とは思う。ほんのちょっとね。別に真剣にそう思ってる訳じゃないけど。
だって、あたしの一番は望みが叶うことだもの。
嗚呼、でもどうしてなのかしら。どうしてかあたしはこんなに不安なの。焦っているの。切ないの。
誰に聞けば、答えを教えてくれるのかしら。
あの人なら――あたしの兄様なら。答えを教えてくれたのかしら。
※この物語は、2010年5月に発行したものをWEB用に手直ししたものです。
※この作品の無断転載、二次加工、再配布はご遠慮ください。
(この作品の著作権は著作者である雨しずくに帰属しています)