今回もまた、酷く期待外れの仕事だと感じていた。
与えられた情報は、対象の名が「後藤佐武郎」という名前ということと、大雑把な罪状、現在の住所。そして対象の顔写真(此れは確認次第消却することになっている)と、家の鍵。
伝えられた罪状は何時ものことながら、「五人の女性を性的暴行後殺害」といった概略的なもので、其処から処刑対象者を具体的に想像することは難しい。しかし、狗月が処刑∴ネ外に(若しかしたら最も)重視していることは、大雑把な罪状だけでも何となく得ることが出来ていた。出来れば、もう少し情報は事前に欲しいところではあるのだが――
「場所は……また貧民街ですか」
元々倭国は収入による格差が存在していたが、帝国の支配により其の格差が拡大。今や上流階級、中流階級、労働者階級と言う名の貧民の住み分けが明確化しつつあり、貧しい者たちが住まう区域は、全体的に薄暗く不健康な気配が漂っており、引ったくり等の軽犯罪が頻発する危険な区域となってしまっている。
狗月や朝兎が与えられている住居は、表向きには伏せられているとはいえ国から与えられているものなので、中流階級の多く住まう整備された区域の一画に与えられている。対する深潮は定期的に住居を換えることから、面倒を避ける為に好んで貧しい者が多く住まう区域を選んでいる様ではあるが。
基本的に徒歩移動である狗月は、衆目を気にも留めず「さて、今回はどうしましょうか」と考えを巡らせていた。充分に馴染んだ革の手袋に覆われた左手には、布で包まれた二尺程の荷が隠すことなく堂々握られている。
日が昇っている内に行くか。其れとも暮れてから行くか。人々が慌しく行き交う中、狗月は歩みを止めていた。
其の時の出来事だった。狗月の後ろ、丁度死角になる位置から、細い手が伸びてきたのは。
「……っ!」
あまりに唐突の其の手に、狗月は一瞬「抵抗」という二文字を忘れる。然程強い力ではなかったが、ぐい、とひっぱられ、気がつくと狗月は建物と建物の間の路地ともいえない細い道に連れ込まれていた。
薄暗い中、くすくすと笑う女性の声が小さく響いた。
「あんまりにも無防備で吃驚しましたわ。こんな簡単にお誘い出来てしまうなんて」
「君は……」
「うふふ、ご機嫌よろしゅう。狗月清貴さん♪ 朝兎さんからお話はお聞き及びでなくて? わたくし、猫居あやめと申しますわ」
手首を掴む手は意外に強く、女性ではあっても簡単には振り解けない程で。あやめの無言の圧力を其処から感じ取ることが出来た。
何か言葉を返そうとする狗月であったが、其れはあやめによって制止された。ちょっと黙ってて頂けます? と人差し指を口元に当てたあやめは、にっこりと無邪気な笑みを浮かべると、小さく囁いた。
「お時間はさほど頂きませんわ。一寸だけで良いんですの。一寸だけ、わたくしにお時間くださいません?」
言葉はやんわり疑問系ではあったが、其処には有無を言わさぬ力が潜んでいた。其れだけのものを込められるだけの何かをあやめは持っていた。
本当に抵抗すれば逃れることも出来たのだろう。しかし狗月は逃れる気は欠片もなかった。むしろ――
「此の細い道の先に車が停まってますの。其れに急いで乗ってくださいません? わたくしも貴男に続きますので」
成る程、己らが入って来た入り口とは反対方向に、ピタリと停まるいかにも高級車と伺える黒塗りの車が、狗月の目にも確認することが出来た。
あやめの方は狗月を迎える準備は万全と言ったところか。しかしもし、此処で狗月が拒否の言葉を口にしたとして、あやめは狗月に行動を強制しないであろうことは想像出来た。あくまで、推測ではあるが。
此の出会いはあやめの采配。しかし、狗月自身も此の出会いを待っていた。あやめの真の目的は、朝兎からの話を聞いても良く分からない。だが、狗月自身にとって猫居あやめという存在は非常に「貴重な存在」に成り得る可能性があった。
此処は、どうやらあやめという少女の言葉に従うのが、自身の為には一番の選択肢の様であった。
*
「さて、改めてご挨拶させてくださいませ。わたくし、猫居あやめと申します。此の度は強引にお誘いしてしまう形になってしまって、申し訳御座いませんでしたわ」
黒塗りの車は、前方運転席と後部座席が完全に遮断されている造りになっており、内密な話をするのには最適な環境が出来上がっていた。
狗月が乗り込んだ後、僅かな間隔を空けて乗り込んだあやめが扉を閉めると同時に、車は静かに発車した様であった。あやめは何処に向かうのか、ということは口にせず、まず己の非礼を丁寧に詫びた。
「いえ、僕もあなたに会いたいと思っていました」
後部座席は二席と二席が向かい合う様に配置されており、狗月は斜め向かいに座ったあやめに微笑みを向けた。
「どうやらお話は早いようですわね」
「ええ、其の様で」
「助かりますわ」
「とんでもない」
双方読めない笑みを貼り付けた者同士、軽快に会話が展開されて行く。
「朝兎さんは警戒心いっぱいだったんですもの。流石のわたくしも、一寸傷ついてしまいましたわ」
「其れは其れは」
「確かに下心ミエミエだったわたくしにも非はありますけれども? しょんぼりですわ」
ん? 下心? とか狗月は思ったが口には出さなかった。(何故か出したら負けの様な気がした)
此れは果たして演技か素なのか。片手を頬に当てて、悲しげに首を傾げるあやめに、狗月は静観するという選択肢しかない様であった。
此の猫居あやめという少女は、他者に対し色々反応の選択肢を奪う型の人種の様だ、と狗月は何となしに思う。(深潮とは正反対の型の女性の様に思えた)
「まあ! わたくしのことはどうでも良いんでしたわ。早速具体的なお話に入っても宜しいかしら?」
「…………ええ、構いませんが」
暫く目の前で何やら己の世界を展開していたあやめであったが、割合早めに我に返ってくれたのは狗月にとって僥倖であった。
「お仕事前にお会い出来て良かったですわ。ご説明したいことは多々あるんですけれども、まずは今回の対象の方の詳しい¥報をお伝えしたかったんですの」
「…………」
「何故わたくしがそんなことを知っているのか? 何故わたくしがあなたにお伝えしようと思ったのか? 等々、ご質問がお有りなのは承知してますわ。出来る範囲でお答えしたいと思っておりますので、まずは聞いてくださるかしら。狗月さんがご存知のことよりも、より詳しい筈ですから」
*
あやめの説明による、今回の処刑対象の情報は以下の通りだった。
処刑対象は五十代前半の男性で、計画的に一人暮らしの女性の家に押し掛けては性的暴行を加えた後、殺害するという極めて悪質な犯罪を五件ほど繰り返したところで、警察に捕まったというものだった。
此の国の死刑判決にするか否かの基準は以下の九項目。即ち、
@事件の罪質
A動機
B事件の態様(特に殺害手段の執拗性、残虐性)
C結果の重大性(特に殺害された被害者の数)
D遺族の被害感情
E社会的影響
F被告の年齢
G前科
H事件後の情状
以上の九項目を総合的に判断し、やむ得ない場合に死刑判決が下される、となっている。
今回の犯人の罪質は極めて性差別的で、悪質である。動機も、恨みや憎しみと言ったものではなく、己の快楽に従った、というもの。殺害手段も残虐で、性的暴行を加えた後、相手の女性が意識を保っている状況で殺害に及んだと見える。被害者の数は五名。若しかしたらもっと多いかもしれない。当初は一ヶ月の期間を空けての犯行であったが、次第に期間は狭まり、最後の方では三日と間を置かず犯行を重ねていた。事件の残虐性故、ある程度報道規制が行われていたので社会的印象は窺い知れないが、事実が報道されていれば確実に世論は此の犯人を悪と見なしたであろう。犯人の前科は、矢張り殺しはしなかったものの女性への性的暴行であり、数年前に釈放されていたところであった。
そして最大の注目点は、「あくまで容疑を否認した」ことであった。
警察は此の男を逮捕する際、報道機関に知られない様、秘密裏に逮捕した。恐らく当初から此の犯人を「処刑」対象として見ていたからであろうが、どうやら「容疑の否認」が決定打となった様であった。
*
「其処で上≠ニ相談して、警察は男を釈放。其処に貴男を向かわせることにした――そんなところですわ」
「………………」
一見すれば、お金持ちのお嬢様。上品な女学生といった出で立ちの少女の口唇から、何とも生々しい情報がすらすらと齎されたことに、狗月は些か返す言葉を失っていた。
「まずわたくしがお話したかったことは以上ですわ。ご質問はお有りかしら」
「…………」
訊きたいことは沢山ある。例えば何故処刑人の存在を知っているのか。例えば何故警察上層部しか知り得ない様な機密情報を知っているのか。例えば――
「あら、言い忘れてましたわ。わたくしが今し方貴男にもたらした情報の真偽ですけれども……証明は今のところ不可能ですの。申し訳ないのですけれど。実際に対象の方に伺って頂くのが一番手っ取り早い証明かと思いますわ」
にっこり。再び有無を言わさぬ微笑み。
確かにそうだろう、と狗月は思った。しかし狗月があやめに問いたいことは其れでも無かった。狗月はおもむろに口を開いた。
「……僕が貴方に訊きたいのは、非常に些細なことですが構いませんか?」
「何でしょう?」
勝手に提示して勝手に信じろと言う。順序も論理もないあやめの言葉に、狗月は微笑みを唇に浮かべると穏やかに言った。
「貴方は処刑人計画をどう思っているのでしょうか」
ぱちくり。
まさか其の様な質問が来るとは、常に二手三手先を読んでいるであろうあやめであっても想定していなかった様であった。驚いて栗毛色の大きな瞳を瞬かせる様子は、十代後半の少女相応の表情をしていた。
狗月が見たかったのは此れだ。
どうやら己はアタリを引くことが出来たらしい。
猫居あやめの本音、嘘偽り無い、装飾されていない言葉。狗月が見たかったのは、知りたかったのは其れだった。
「其れを答えて頂ければ、もう問うことは何も」
くすくすくす、と。あくまで上品に、しかし作り物ではない笑い声が狭い車の中に響いた。
「流石ですわね、狗月清貴さん。わたくしの完敗ですわ。嗚呼、別に勝負をしていた訳ではありませんけれど」
「其れは光栄ですね」
笑い過ぎた所為であろう、目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながらあやめは言った。
「ちょっと残念ですわ。もう少し貴男と出会うのは早かったら、惚れてしまっていたかもしれませんのに」
「そうでしたら、困ったことになっていましたね。僕は独り身ではありませんので」
「ふふっ。夜鷹深潮さんですわね。――貴男と嘗て同級生。同じ文藝部所属。現在は処刑人$齣ョの監視役として、民間人ながら処刑人計画≠知る唯一とも言える良い女性――勿論、ちゃんと存じ上げておりますわ」
「実は、僕は彼女と大切な約束事をしていますので」
「あら、此の間お会いした朝兎さんは、『約束は破るために在る』と仰っていましたが?」
「世の中には、破ることの出来ない約束、というものもあるそうですよ。極僅かではありますが」
「素敵なお言葉ですわね」
ほのぼのとした空気が、車内に流れた。
言葉遊びの底に本音が隠れる。狗月はそんな言葉の応酬が存外気に入っており、其れはどうやらあやめも同様の様だった。狗月は珍しく多言だった。
「猫居さん。僕の質問に答えて貰えますか」
「あやめ、と呼んでくださいません? 名字より、名前を呼ばれる方が好きなんですの」
「おや、其れは僕と正反対ですね――それではあやめさん」
「ええ、そうですわね……」
もったいぶって一呼吸置いたあやめは、くすりと邪気のない笑みを其のかんばせに湛える。
「処刑人計画をどう思っているか、という質問でしたわね。其れは勿論――」
狗月の目を真っ直ぐ見て、言葉は続けられた。
「汚い、と思ってますわ」
「………………」
「わたくしの言う汚い≠フ意味。お解りかしら? 狗月さん」
「………………」
問われた言葉に、狗月は静かに瞳を閉じた。
「ええ、よく解りますよ。とても、よくね」
「其れは良かった」
「――――あやめさん」
狗月は再び瞳を開くと、あやめを見据えて言った。
「貴女を信用しますよ。貴女が僕達に何を期待しているのかは解りませんが……貴女が情報を提供してくれることは、僕にとってとても都合が良い」
「利害の一致、ですわね」
「其の様で」
「嗚呼、良かった」
嬉しそうに。本当に心底嬉しげに微笑むと、あやめは何処からとも無く携帯情報端末を取り出し、狗月の手の上に置いた。
「朝兎さんにもお渡ししたものですわ。今後、処刑対象者の情報は、此方にお送りしますわ」
「成る程」
「わたくし達の関係は……そうですわね、一情報提供者と一情報受用者という関係と称するよりは……共犯関係にあると思ってくださって結構ですわ」
「共犯関係」
「ええ、わたくしにも望みがあって、貴男にも望みがある。利害の一致によって、此の取引は成立する……立場の優劣はありませんわ」
猫居あやめの望み。
狗月清貴の望み。
其の詳細を訊こうとはしない。
其の詳細を知ろうとはしない。
解っているのは処刑人計画≠ノ関わってしまった、関わざるを得なかった者達が出会い、己らの望みの実現の為には手を結ぶのが必然的であった、ということ。
理想的な関係。理想的な需要と供給。
「朝兎さん共々。今後、どうぞ宜しくお願いしますわ、狗月さん」
「そうですね」
車が静かに停車したのは、丁度其の時だった。
狗月は窓から外の景色を伺って、あやめに視線を移した。記憶にある住所と此の場所の合致は、偶然でも何ものでもない。
小首を傾げたあやめは何も言わない。狗月も何も言わなかった。お互い無言だった。
扉が開く音がして、さして時を空けず閉じる音が続く。車内に残る者。発車する車。見送る者。吹き抜ける風。
此の時。二人は気付いて居なかった。
処刑人計画≠フ計画でもなく、処刑人計画≠フ開始でもなく、此の時が、ハジマリなのだということを。
其のハジマリとは、オワリのハジマリ。
とある哲学者の言葉を借りるのであれば、ディオニューソス的物語のハジマリ。
紡がれ始めてしまった物語を止めることは誰にもできない。
立ち止まるつもりが無い者達を止めることは誰にも出来ない。
意図されず物語は生まれ、意図して物語は展開される。
狗月清貴。
夜鷹深潮。
朝兎忠人。
猫居あやめ。
登場人物は揃い、配役は既に充てられている。
偶然的に、必然的に、運命的に、宿命的に全ては絡まり合い、しかし最後に到達する地点は誰にも推測されない。
曰く、「GOD ONLY KNOWS」。此の中で、神に頼る者など、一人もいないのは最大の皮肉ではあるのだけれども。
※この物語は、2010年5月に発行したものをWEB用に手直ししたものです。
※この作品の無断転載、二次加工、再配布はご遠慮ください。
(この作品の著作権は著作者である雨しずくに帰属しています)